毎回アイ・ラブ・ユー

村上信五さん、向井康二さんをはじめとする推したちへの愛を言語化してまとめた(い)ブログです

愛と哀と逢 ハロルドとモード

始めましての方も、いつもの仲間たちもご機嫌いかが?

どうもそしょ子です。

今回ご縁があって、「ハロルドとモード」9月29日公演を観劇する運びとなりました。

ありがたいお声がけを頂いたので、死に物狂いでお休みをもぎ取っていざ東京へ。

会場前で同行者の方と待ち合わせていたんだけど、まさか自分が会場前のデジタルサイネージをみて涙するとは思わなかった。

康二くんが大舞台に立っている事、自己都合ではあったけど、当時の状況的に三婆に行けなかった自分が報われた気持ち、今までの康二くんとの思い出…いろんなものがうっかり溢れ出してしまった。

でも何がマズいって、同行者にその状態で初めましてしてるのがね。さすがに怖かったよね…ごめんね…今なら笑い話に出来るかな~、泣きながら北海道土産手渡したの(無理そう)

 

 

さて、本編の感想というか、考察に移ろうかと思います。以下ネタバレを含みますので、不本意な閲覧となる方は、くるっとUターンしてあったかいご飯食べて寝てください。ガチな飯食おうなみんな。

 

 

 

まず前提として掲げたいのは、「康二くんとハロルドでは、置かれている家庭環境があまりにも違う」ということ。

 

【康二くんとママ】

・一緒に旅行もする

・晴れ舞台に来てくれる

・頻繁に連絡を取り合う

・出演メディアをしっかり確認するママ(ゲーム説明が分からなかったらちゃんと文句も言う)

・合言葉は「コージー!アイラービュー!」

グリーンカレーそうめんを息子の職場に差し入れするママ etc…

 

【ハロルドとママ】

・息子が母親の気を引きたくて偽造自殺を繰り返すも、無関心どころか「面白いと思っているの!?」と一蹴

・毎日パーティーやらお茶会やらに出かけている為、ハロルドと交流する時間を持たない。

・でも息子の将来が心配なのか、お見合いサイトに登録し無理やり結婚させようとする。

・息子の性格を「自分好み」に考えてしまう節がある(個性の抑圧)

 

 

うん…そうね…

ビックリするぐらい正反対~!!!!!

 

と思ったんだけど、ハロルドと康二くんについては結構似てる部分もあるんですよね。

淋しがり屋で、ピュアで素直で、心を許したひとにはまるでかわいい子犬のように懐く。

感受性の部分は似ているけど、環境や考え方の違うハロルドを康二君はどう演じるんだろう、向井康二のハロルド・チェイスンはどんな色をしているんだろう。と思いながら幕開けを待つ私。

 

今回は原作の「ハロルドとモード」を読まずに会場入りしました。私の中のハロルド像を先入観から勝手に作り出して、康二くんの演技と比較することになってしまうのが怖かったから。あとはまあ代休取るのに必死で本読む暇が一個もなかったていうのもあるけど…ね…ちょっとだけ恰好つけさせてね~!(ダサい)

 

結果として、私が1時間40分目の当たりにしたのは向井康二黒柳徹子さんの演技ではなく、ハロルドとモードの長く短い恋の物語。

 

ピュアなところが似てるから…康二くんの演技が上手だから…徹子さんは大御所だから…とかそんな理由ではなく、ちゃんと向井康二の向こうにハロルド・チェイスンは存在していた。むしろ、向井康二という強く優しい男の子は、ハロルド・チェイスンという哀をもって愛を知る青年と背中合わせに隠れていた。原作を読み込まずに舞台を見た私にとっては、康二くんが演じたハロルドこそが原作とも言える。

あと康二くんってやっぱり「静」の演技が上手なんだと改めて感じた1時間40分だった。

目線、呼吸、暗転しているときも、康二くんはハロルドを身に纏っていた。

おちゃらけ少年の演技がピッタリなのは勿論だけど、寂しさや暗い部分の引力の強さに息を吞むばかり。

 

ちなみに観劇翌日、すのちゅーぶでおなじみの日本一高い塔にある本屋さんでハロルドをお迎えしたのだけど、読んでからの感想は後日ということでね。しばしお待ちくださいな。

 

そんなハロルドとモード、二人は正反対の様で実は似ているんじゃないかと、幕が閉じた今は思います。

好奇心旺盛で、自由が好き。数々の不思議な実験をしてはとんでもない状況を招くハロルドと、手あたり次第に駐車している車に乗ってはどこかに置いてきてしまうモードは、行動は違えどどこか似ているなと。

 

そう、この二人はとにかくピュアでかわいいんです。

 

そんなモードだから、ハロルドは人生に置ける様々なことを学び、いつしか一人の女性として愛するようになった。

モードもまた、ハロルドのピュアな心に惹かれ、愛を受け入れた。年齢・性別・人種は互いを想う心を邪魔できないと、あの舞台の上で生きる二人が教えてくれた。ハロルドのお母さんも、神父さんも、精神科医も、皆二人の関係を否定し嘆いたけど、ハロルドは揺らがなかった。モードを愛している、ただその事実だけが彼を強くした。

母親の【普通】という概念。ハロルドにとっての自由を阻害する、ある種の呪縛だったものを振り払えるくらいの強さをハロルドは手にした。

 

ハロルドは、運命の人・モードに出逢うことで、自分を愛する強さに出逢ったのだと私は思います。

そしてモードと死別することで愛する人を失う哀しみに出逢い、また一つ強くなったのではないでしょうか。

愛と哀と逢。ハロルドという青年を語る上で外せない三要素だと、私は思うのです。

 

さて、原作を読まなかった私がどうしてこんなにもハロルドに感情移入しているか。

これは完璧に自分のバックグラウンドが関係しているんですね~。

自分語りになってしまうので詳しくは書きませんが、家族との関係性の難しさや寂しさ、どれも自分が感じたことのあるものばかりで、胸が痛い場面も多々ありました。

でも、ハロルドが愛を知り、幸せになる姿を見て、過去の自分も幸せになれるような、そんな気がしたのです。

康二くんがハロルドに出逢わせてくれたことで、私は前よりも私を愛することが出来るようになりました。もしかしたらモードの持っている鍵の束の中には、私が私を幸せにするための鍵があったのかな、なんてね(笑)

もしかして、亡くなったモードがハロルドに残したのは、ただの車の鍵の束なんかじゃなくて「幸せになる為の鍵」なんて考えられるんじゃないかな。

〈万物は流れる〉のだから、モノや言葉の意味だって受け取り手によって変わるとしたら、そんな解釈もありですよね。

 

本当は大好きなハロルドとモードの場面についても語りたかったのだけど、このおっきな感情に並べると読んでくれた人が風邪ひきそうだから、別の記事にまとめようかな~

いっぱいあるんですけどね、あまりにもまとまりがなくなっちゃうから!!(笑)

今回の記事はハロルドとモードにありがとうを伝えるお手紙として一度幕を下ろします。

 

 

 

 

 

最後に、お礼をさせてください。

ありがとう、ハロルド。ありがとう、モード。ありがとう、康二くんを始めとするキャストの皆様。

この作品に出逢えてよかった。心からそう思います。

 

そして康二くん。改めて外部舞台主演おめでとうございました。三婆に行けなかったあの時の私が、ようやく報われたような気がします。

そしてこんな素敵な作品に出逢わせてくれて本当にありがとう。康二くんの存在が私の人生に虹をかけてくれているよ。

大好きな康二くんが幸せでいてくれることが、私の幸せの一つです。生きていてくれてありがとう。アイドルでいてくれてありがとう。照らしていてくれてありがとう。

これからも、康二くんが幸せでいてくれますように。笑っていられますように。

願わくばまた、康二くんに会えますように。

 

そして、幕が下りた後のハロルドが幸せに生きていることを願って。

ハロルド、モード、あのひまわり畑でまた笑顔を見せてね。

 

みんなもまた会おうね。そしょ子より愛を込めて。