毎回アイ・ラブ・ユー

村上信五さん、向井康二さんをはじめとする推したちへの愛を言語化してまとめた(い)ブログです

三ツ矢くんと三度目の春

 

 

 

 

はじめましての皆さんも、いつもの仲間もご機嫌いかが?どうもそしょ子です。

 

最近、足首の筋力の弱さを感じて足首のみ筋トレを始めました。意外と効くのよねこれが。全身筋トレするにはちょっと気力というか、思い切りが足りなかったけど!(笑)

 

それから、最近12年前のデジカメを引っ張り出してきて、毎日持ち歩いています。デジカメ画質って侮れないエモさがあるなあと最近思うのです📷

 

 

さて、近況はこんなところにして、

向井担の皆々様方!嬉しいお知らせが舞い込んできましたね!

 

 

どどん!! 祝!三ツ矢くんご帰還!!!(おかえりー!)

 

 

2024年4月、三ツ矢翔平さんが春の訪れと共に私達の下へ舞い戻ってきてくださるようで!ひらりと三ツ矢ってか!!!!!!!やかましいですね!!!!!!!!!

って三ツ矢くん爆誕からもう2年経つんですか…?時の流れは早いものですね…

 

 

康二くんが初めて手にした連ドラの役柄だということも勿論ありますが、何より私はあの憎めない可愛さが大好きでして…

「憎めない可愛さ」って実は天性の才能なのでは?と常々思うんですよね。

まあ、推し贔屓だろ!と言われてしまえばそれまで。しかし!あざとさに全振りするわけでもなく、ちょっとしたウザさ(褒めてる)さえ感じさせる、でも居ないとなんだか味気ない存在。それが三ツ矢翔平くん。自己主張がちょっぴり強めなところが玉にキズですが、ただの賑やかし要員ではなく、事件解決においてちゃんとファインプレーもかましてくる。

 

 

くうっ……憎めねえなァ……(半兵衛でちゃった)

 

 

この春、三ツ矢くんとともに山田裕貴さん演じる新藤くんもご帰還されるようで、とってもワクワクしております!二人のコミカルなやり取りがストーリー上だけでなく撮影の裏側でも巻きおこることを期待せずには居られません…!!どうしようね二人でK-POP踊ってたらね…山田さんの過去ANNを振り返ると全然考えられちゃうな…!!!

 

そして我らが井ノ原パイセンと康二くんやりとりにも注目ですねえ〜!

浅輪さんと三ツ矢くん、井ノ原くんと康二くん。かわいい二人の姿が見られる春、非常に景気いいじゃん…やるじゃん春……いや、ハル…!!!!!(いつものBGM)

 

去年は楽屋でお互いマッサージをし合ったり、ドアや風船で遊んでみたり、可愛いやりとりが盛り沢山!今年もぜひよろしくお願いします!(全力三方礼の極み)

 

 

井ノ原くんへ 私といたしましては「めっけもん」やら「サイクルセンターナガノ」やらの名曲を生み出し続けてきた井ノ原くんと康二くんの即興ソングが聞きたいので是非検討してほしい所存ですのよ。ボンタン狩りもやりましょう!ね!(Vクラおなじみのアレ)(坂本担からの大事なお願い)

 

 

更に、Season7発表に際したインタビューでは特捜班の皆さまと三ツ矢くんの絡みが前回よりも増えていると井ノ原くんの口から語られておりましたので、なおさら楽しみにしたいところ!!!!!

オラ、ワクワクすっぞ……!!!!!!!!!!

今回は何味のクッキーを食べるんだろうか…今回はお好み焼き風じゃないといいね…!そもそも倫子さんもお好み焼き味としては作っていないんだよなあ…(笑)

 

春が苦手だった彼が、また一つ春を好きになれる1年になるといいなと思うばかりです。康二くんは私にとって春告鳥。綺麗な鳴き声もちょっと不器用なぐぜり鳴きも、すべてが愛しいと思える存在です。

 

 

そんなところで今日はここまでとさせていただきます🐥

暗髪三ツ矢くんに思いを馳せつつ読んでくださった皆さんに愛を込めて…

 

そしょ子より🐥

二人乗りの自転車はどこまでも行けたのさ ~関ジャニ∞ 改名に際して~

 

 

出会いは、まだ今ほど著作権に関わる規制も意識も薄い時代のインターネットの海の中。

 

同年代の子供たちよりも心が早熟だった私のインターネットデビューは早く、小学四年生になる頃には自分で実家のノートパソコンを使用して動画を漁っていた。まだまだYouTubeも海外動画サイトも今より発達しておらず、著作権意識も薄かったのか、特典映像なんかはフルサイズでプラットフォームに掲載されていた。

 

決して褒められた出会いじゃないけれど、その有象無象の中から出逢ったのが関ジャニ∞三枚目のアルバム『ズッコケ大脱走』の特典映像。

画質の荒い映像でもわかる、軽快なトークと仲の良さ。北国で生まれ育った自分には、そのどれもが新鮮だった。

よくわからん魔法使い、ゲラの王様、恥ずかしがり屋の宣教師、楽しそうな狩人と遊び人、気弱な勇者に大きな声でツッコむ大臣。

中でも一番忘れられなかったのは、映像中に流れていた楽曲「旅の涯には」。この曲が関ジャニ∞と出会わせてくれたきっかけになった。

 

ほどなくして、WSで黒スーツに身を包んだ彼らが報道されていた。秋も深まり寒くなってきた頃、ちょうど『8UPPERS』のツアーがスタートしたところだった。画質も明瞭になり、見やすくなった箱の中でハキハキと楽しそうに話す村上さんに釘付けになった私は、父にお願いをしてレンタルCDショップへと向かう。両手に『ズッコケ大脱走』と『8UPPERS』を抱えたちいさな私はeighter人生の一歩を踏みだしたのだった。

 

初めて自分のお小遣いで買ったCDもアルバムもライブDVDも雑誌も、初めてのライブも、初めての親からのCDのプレゼントも、全部全部関ジャニ∞

中学生になって、初めてメイクを始めたのもエイトのライブの日。

初めてSNS上でお友達が出来たのもeighterさんでした。あの頃のお友達はもうほとんど連絡を取っていないけれど、元気かな。元気でいてくれたらいいな。

 

 

今思えば、私の人生の初めては、関ジャニ∞が叶えてくれたことばかり。

 

 

彼らに出会わなければ、私の人生も性格も全く違うものになっていたと思う。村上さんに出逢わなければ、向井担としての自分も居なかったかもしれない。ましてやアイドルに人生の幸せを見出す生活なんてしていなかったかもしれない。こんなにおしゃべりで、言葉を大事にする人間ではなかったかもしれない。私のパーソナリティやアイデンティティーを構築する大きな出会いが関ジャニ∞だった。

 

 

そんな彼らが、明日から違う屋号を掲げ生きていく。

6人が7人になることも、6人が5人になることも、名前が変わることも、何も予測はできなかった。そのすべてに終わりなんかないと思っていた。

今でも心の中で、関ジャニ∞が屋号を変更する必要があったのかと自問自答を繰り返している。悔しいし、寂しい。

彼らが直接手を下したわけではない問題で、四半世紀近く付き合ってきた名前を、人数が変わっても変えなかった屋号を、変えなければならないのか。もっとも、一番苦しいのはメンバー本人たちだと思うけれども。

 

親からもらった大事な名前を、何億何万人に呼ばれたその名前を変えなければならない苦しさは、想像に難くない。決して簡単に推しはかることの出来るものではないけれど。

このブログを読んでくださっているあなた、一度想像してみてください。

ある日突然自分の名前の一部が世間から悪だと認識される気持ちを。20年付き合ってきたその呼び名がある日世間から忌避されるものになってしまった状況を。

私ならやるせなくて、耐えられない。周りがどんな反応をしようが、名前に罪はないのに。

 

 

 

わたしの推し事に関わるスタンスはただ一つ、本人たちの決定に沿う事。その決定に沿えなくなったとき、相手を傷つけそうになったときには潔く離れること。

だから今回もついていくと決めた。寧ろ私の目の前には選択肢が一つしかなかった。

ポジティブな気持ちで改名発表を迎えようと気合を入れていた。

 

 

 

はずだった。

 

 

 

 

 

関ジャニ∞としての「最後」が続々と達成されるたびに、悔しさや寂しさは波のようにやってきた。公式Instagramで村上さんがただ一言「関ジャニ∞でした。」という言葉を掲載したとき、苦しくて、辛くて切なくて、でも村上さんらしいなって思って涙が出た。

もしかしたら本人はこんなに深く考えていないかもしれない。私が勝手に切なくとらえてしまったのかもしれない。それでも、「ファンが一人でも居る限り、ぼくは関ジャニ∞村上信五です」と言い切った村上さんの言葉を思い出してちょっぴり心が甘く痛んだ気がした。

 

何度もその投稿を眺めて感じた。ああ、このシンプルさが村上さんだなって。名前が変わろうが、人数が変わろうが、私の大好きな村上さんなんだなって。思わず屋号変更を前に切なくなった瞬間だった。

その後、関ジャニ∞としてのラストのレンジャーブログが更新された。みんなの言葉を泣きながら読んでいたはずなのに村上さんは通常運転で、やっぱり彼らしくて笑い泣きした。ここで「するぞうず」なわけあるかい!(笑)

 

だったら屋号が関ジャニ∞でいられる今日までは散々懐かしんで、泣いて、切なくなって、笑って泣いてまた泣いてしまおうと思った。だからこうして文字に残すことを決めました。このブログは、私の決意表明で、関ジャニ∞へのラブレターで、宣戦布告。

 

すばるくんが旅立つとき、錦戸さんが旅立つとき、第三者目線でみると、その他にもeighterとしてのターニングポイントはたくさんあったと思う。

でも何故だか離れるという結論には至らなかった。だって関ジャニ∞は私の人生だから。人生の楽しみ方も、哀しみとの向き合い方も、向かい風に立ち向かう強さも、志も、愛も、全部教えてくれたのは関ジャニ∞だから。今も昔も、関ジャニ∞についていく未来しか自分には見えてない。それが私なりの愛だと、声を大にして叫びたい。叫びます。

 

 

うるせーーー!!!!!愛してるよーーーーー!!!!!

 

 

横山さん、まるちゃん、ヤス、おーくらさん、村上さん。

わたし、まだ教えてもらってないこと沢山あるんですよ。この先私が生きていくうえで必要なのは、あなたたちの背中と、笑顔と、eighterさんと横並びになる楽しみなんですよ。この大事な「eighter」という名前も、もしかしたら変わってしまうかもしれないけど、ライブの最後に手を繋いで呼ぶあなたたちの名前はもう別の名前になってしまうけれど、結局心が大事なんです。愛しかないんです。

だから、どうか屋号が変わろうが世間が何と言おうが、彼らがステージに立続けるその日まで輝いていてほしい。笑っていてほしい。

私には5人についていくことと、ここで声を上げ続けることしかできないけれど、5人が目指す夢の先を一緒に見させてほしいと、心から願っています。

村上さんに、関ジャニ∞に、すべての推したちに胸張って生きていくために、頑張るを精一杯頑張っているよ。変化をすぐに飲み込めなくて、懐古しちゃうこともあると思うけど、それでも私の精一杯の力で、やり方で、関ジャニ∞という歴史を、5人の未来を愛させてください。自分が出会えなかった8人時代も、全力で駆け抜けた7人、6人時代も、これからも続く5人の時代も未来永劫かけがえのない宝物です。

 

満月が見下ろすこの先の人生 5人とファンの二人乗りの自転車でどこまでも行きましょう。幸せになりましょう。今よりもっと。

 

 

すみません、私おんぼろなくせに欲張りなんです!

 

まとまらない叫びを最後まで読んでくれた皆さんに愛をありったけ込めて。

 

そしょ子より。

愛と哀と逢 ハロルドとモード

始めましての方も、いつもの仲間たちもご機嫌いかが?

どうもそしょ子です。

今回ご縁があって、「ハロルドとモード」9月29日公演を観劇する運びとなりました。

ありがたいお声がけを頂いたので、死に物狂いでお休みをもぎ取っていざ東京へ。

会場前で同行者の方と待ち合わせていたんだけど、まさか自分が会場前のデジタルサイネージをみて涙するとは思わなかった。

康二くんが大舞台に立っている事、自己都合ではあったけど、当時の状況的に三婆に行けなかった自分が報われた気持ち、今までの康二くんとの思い出…いろんなものがうっかり溢れ出してしまった。

でも何がマズいって、同行者にその状態で初めましてしてるのがね。さすがに怖かったよね…ごめんね…今なら笑い話に出来るかな~、泣きながら北海道土産手渡したの(無理そう)

 

 

さて、本編の感想というか、考察に移ろうかと思います。以下ネタバレを含みますので、不本意な閲覧となる方は、くるっとUターンしてあったかいご飯食べて寝てください。ガチな飯食おうなみんな。

 

 

 

まず前提として掲げたいのは、「康二くんとハロルドでは、置かれている家庭環境があまりにも違う」ということ。

 

【康二くんとママ】

・一緒に旅行もする

・晴れ舞台に来てくれる

・頻繁に連絡を取り合う

・出演メディアをしっかり確認するママ(ゲーム説明が分からなかったらちゃんと文句も言う)

・合言葉は「コージー!アイラービュー!」

グリーンカレーそうめんを息子の職場に差し入れするママ etc…

 

【ハロルドとママ】

・息子が母親の気を引きたくて偽造自殺を繰り返すも、無関心どころか「面白いと思っているの!?」と一蹴

・毎日パーティーやらお茶会やらに出かけている為、ハロルドと交流する時間を持たない。

・でも息子の将来が心配なのか、お見合いサイトに登録し無理やり結婚させようとする。

・息子の性格を「自分好み」に考えてしまう節がある(個性の抑圧)

 

 

うん…そうね…

ビックリするぐらい正反対~!!!!!

 

と思ったんだけど、ハロルドと康二くんについては結構似てる部分もあるんですよね。

淋しがり屋で、ピュアで素直で、心を許したひとにはまるでかわいい子犬のように懐く。

感受性の部分は似ているけど、環境や考え方の違うハロルドを康二君はどう演じるんだろう、向井康二のハロルド・チェイスンはどんな色をしているんだろう。と思いながら幕開けを待つ私。

 

今回は原作の「ハロルドとモード」を読まずに会場入りしました。私の中のハロルド像を先入観から勝手に作り出して、康二くんの演技と比較することになってしまうのが怖かったから。あとはまあ代休取るのに必死で本読む暇が一個もなかったていうのもあるけど…ね…ちょっとだけ恰好つけさせてね~!(ダサい)

 

結果として、私が1時間40分目の当たりにしたのは向井康二黒柳徹子さんの演技ではなく、ハロルドとモードの長く短い恋の物語。

 

ピュアなところが似てるから…康二くんの演技が上手だから…徹子さんは大御所だから…とかそんな理由ではなく、ちゃんと向井康二の向こうにハロルド・チェイスンは存在していた。むしろ、向井康二という強く優しい男の子は、ハロルド・チェイスンという哀をもって愛を知る青年と背中合わせに隠れていた。原作を読み込まずに舞台を見た私にとっては、康二くんが演じたハロルドこそが原作とも言える。

あと康二くんってやっぱり「静」の演技が上手なんだと改めて感じた1時間40分だった。

目線、呼吸、暗転しているときも、康二くんはハロルドを身に纏っていた。

おちゃらけ少年の演技がピッタリなのは勿論だけど、寂しさや暗い部分の引力の強さに息を吞むばかり。

 

ちなみに観劇翌日、すのちゅーぶでおなじみの日本一高い塔にある本屋さんでハロルドをお迎えしたのだけど、読んでからの感想は後日ということでね。しばしお待ちくださいな。

 

そんなハロルドとモード、二人は正反対の様で実は似ているんじゃないかと、幕が閉じた今は思います。

好奇心旺盛で、自由が好き。数々の不思議な実験をしてはとんでもない状況を招くハロルドと、手あたり次第に駐車している車に乗ってはどこかに置いてきてしまうモードは、行動は違えどどこか似ているなと。

 

そう、この二人はとにかくピュアでかわいいんです。

 

そんなモードだから、ハロルドは人生に置ける様々なことを学び、いつしか一人の女性として愛するようになった。

モードもまた、ハロルドのピュアな心に惹かれ、愛を受け入れた。年齢・性別・人種は互いを想う心を邪魔できないと、あの舞台の上で生きる二人が教えてくれた。ハロルドのお母さんも、神父さんも、精神科医も、皆二人の関係を否定し嘆いたけど、ハロルドは揺らがなかった。モードを愛している、ただその事実だけが彼を強くした。

母親の【普通】という概念。ハロルドにとっての自由を阻害する、ある種の呪縛だったものを振り払えるくらいの強さをハロルドは手にした。

 

ハロルドは、運命の人・モードに出逢うことで、自分を愛する強さに出逢ったのだと私は思います。

そしてモードと死別することで愛する人を失う哀しみに出逢い、また一つ強くなったのではないでしょうか。

愛と哀と逢。ハロルドという青年を語る上で外せない三要素だと、私は思うのです。

 

さて、原作を読まなかった私がどうしてこんなにもハロルドに感情移入しているか。

これは完璧に自分のバックグラウンドが関係しているんですね~。

自分語りになってしまうので詳しくは書きませんが、家族との関係性の難しさや寂しさ、どれも自分が感じたことのあるものばかりで、胸が痛い場面も多々ありました。

でも、ハロルドが愛を知り、幸せになる姿を見て、過去の自分も幸せになれるような、そんな気がしたのです。

康二くんがハロルドに出逢わせてくれたことで、私は前よりも私を愛することが出来るようになりました。もしかしたらモードの持っている鍵の束の中には、私が私を幸せにするための鍵があったのかな、なんてね(笑)

もしかして、亡くなったモードがハロルドに残したのは、ただの車の鍵の束なんかじゃなくて「幸せになる為の鍵」なんて考えられるんじゃないかな。

〈万物は流れる〉のだから、モノや言葉の意味だって受け取り手によって変わるとしたら、そんな解釈もありですよね。

 

本当は大好きなハロルドとモードの場面についても語りたかったのだけど、このおっきな感情に並べると読んでくれた人が風邪ひきそうだから、別の記事にまとめようかな~

いっぱいあるんですけどね、あまりにもまとまりがなくなっちゃうから!!(笑)

今回の記事はハロルドとモードにありがとうを伝えるお手紙として一度幕を下ろします。

 

 

 

 

 

最後に、お礼をさせてください。

ありがとう、ハロルド。ありがとう、モード。ありがとう、康二くんを始めとするキャストの皆様。

この作品に出逢えてよかった。心からそう思います。

 

そして康二くん。改めて外部舞台主演おめでとうございました。三婆に行けなかったあの時の私が、ようやく報われたような気がします。

そしてこんな素敵な作品に出逢わせてくれて本当にありがとう。康二くんの存在が私の人生に虹をかけてくれているよ。

大好きな康二くんが幸せでいてくれることが、私の幸せの一つです。生きていてくれてありがとう。アイドルでいてくれてありがとう。照らしていてくれてありがとう。

これからも、康二くんが幸せでいてくれますように。笑っていられますように。

願わくばまた、康二くんに会えますように。

 

そして、幕が下りた後のハロルドが幸せに生きていることを願って。

ハロルド、モード、あのひまわり畑でまた笑顔を見せてね。

 

みんなもまた会おうね。そしょ子より愛を込めて。

 

推しを哲学するということ

始めましての方も、私のつぶやき(今はポストっていうんだっけ)をご覧のいつもの仲間たちも、ご機嫌いかが?

 

どうもそしょ子と申します。

自己紹介しようかなって思ったんですけど、スペース聞いてつぶやき見てもらった方が絶対早い。なので後日詳しいことはお話させていただこうかな~!!

ただ、村上信五さんや向井康二くんを始めとする、笑顔の素敵なアイドルが好きな、口数の多いオタクという事だけ覚えて帰って下さいね。

あと握りこぶしを作ると手がクリームパンにそっくりという事も覚えて帰ってくださいね~。色黒なので万年焼きたてですからね~!(重要)

 

 

失礼、本編がコンタクトレンズぐらい飛んでっちゃった。

 

推したちの誕生日にこのブログを立ち上げようと、毎度毎度キーボードを叩いてはお蔵入りさせるという、天性の圧倒的計画性のなさを持って生まれたこのオタク。

不定期ではありますがぼちぼち更新していこうかな…と思いキーボートを叩き始めました。

 

 

…今この記事をご覧の方も思ったかもしれないね。どうせ下書きで終わるんだろって。

 

 

 

ヤダあたしもそう思うんですけど~!!!!!!(最悪)

 

 

 

このご挨拶ですら下書きになるんじゃないかと思ってるもんね…。

康二くんぐらい筆まめになりたい!!!ぴっぴっ!!がんばれがんばれ!!(圧)

 

 

 

そんな怠惰極まりない私がこのブログを立ち上げたのは、やっぱり康二くんを始めとする推したちを哲学する気持ちを抑えられなかったから。

「推しを哲学する」ってただ格好いい言葉にまとめたかっただけじゃないの~?って思ったそこのあなた、鋭いですね。

でも実際哲学するっていう言葉が私の考え方・思考の広げ方だったり、言葉の組み方だったりにピッタリだと思うんです。

アイドル・エンターテイナーとしての考え方、個人としてメディアに公開されているバックグラウンド、作品そのもの…。

答えがないものには宇宙と同じぐらい捉え方に広がりがあるから、だから私は自分の中の思考の終着点を探す旅に出ることにしました。答えがないから面白いものもあるよね。自分とは違う考え方に触れて、新しい行き先が見つかることもある。終着点が一駅先になることもある。このブログは、私の心と頭の路線図なのかもしれない。

 

そんな私のブログを、楽しんでくださる人が一人でも居たらなと思います。

勿論間違いを訂正するのも、自分とはこんなところが違うよ!と教えていただけるのも嬉しいです。ツッコミ?大歓迎です。ボケももちろん大歓迎です。

自分、ツッコミの腕ちゃんと磨いておくんで…!!(肩ブンブン)

 

あ!あと、普段のつぶやきや時々開かれるスペース・ツイキャスなどと言ってること違うじゃんと思った方。

「あ、この人山手線から都営大江戸線に乗り換えたんだな~」*1ぐらいに思って下さると嬉しいな。たまに迷子になることもあるけどね~!!!(人生の方向オンチ)

いろんな意見に触れると、人は変わる。それは良い意味でも悪い意味でもだけど。

わたしはどんな意見に触れても、良い方向に変化していきたいと思うし、そう考えられるポジt...いやコジティブなオタクでありたいと思っています。

 

 

そんな感じで最初のご挨拶とさせていただこうかな。みんな、また会おうね。

そしょ子より愛を込めて。

*1:都営大江戸線ぐらい深いこと言いたかったけど無理だった