出会いは、まだ今ほど著作権に関わる規制も意識も薄い時代のインターネットの海の中。
同年代の子供たちよりも心が早熟だった私のインターネットデビューは早く、小学四年生になる頃には自分で実家のノートパソコンを使用して動画を漁っていた。まだまだYouTubeも海外動画サイトも今より発達しておらず、著作権意識も薄かったのか、特典映像なんかはフルサイズでプラットフォームに掲載されていた。
決して褒められた出会いじゃないけれど、その有象無象の中から出逢ったのが関ジャニ∞三枚目のアルバム『ズッコケ大脱走』の特典映像。
画質の荒い映像でもわかる、軽快なトークと仲の良さ。北国で生まれ育った自分には、そのどれもが新鮮だった。
よくわからん魔法使い、ゲラの王様、恥ずかしがり屋の宣教師、楽しそうな狩人と遊び人、気弱な勇者に大きな声でツッコむ大臣。
中でも一番忘れられなかったのは、映像中に流れていた楽曲「旅の涯には」。この曲が関ジャニ∞と出会わせてくれたきっかけになった。
ほどなくして、WSで黒スーツに身を包んだ彼らが報道されていた。秋も深まり寒くなってきた頃、ちょうど『8UPPERS』のツアーがスタートしたところだった。画質も明瞭になり、見やすくなった箱の中でハキハキと楽しそうに話す村上さんに釘付けになった私は、父にお願いをしてレンタルCDショップへと向かう。両手に『ズッコケ大脱走』と『8UPPERS』を抱えたちいさな私はeighter人生の一歩を踏みだしたのだった。
初めて自分のお小遣いで買ったCDもアルバムもライブDVDも雑誌も、初めてのライブも、初めての親からのCDのプレゼントも、全部全部関ジャニ∞。
中学生になって、初めてメイクを始めたのもエイトのライブの日。
初めてSNS上でお友達が出来たのもeighterさんでした。あの頃のお友達はもうほとんど連絡を取っていないけれど、元気かな。元気でいてくれたらいいな。
今思えば、私の人生の初めては、関ジャニ∞が叶えてくれたことばかり。
彼らに出会わなければ、私の人生も性格も全く違うものになっていたと思う。村上さんに出逢わなければ、向井担としての自分も居なかったかもしれない。ましてやアイドルに人生の幸せを見出す生活なんてしていなかったかもしれない。こんなにおしゃべりで、言葉を大事にする人間ではなかったかもしれない。私のパーソナリティやアイデンティティーを構築する大きな出会いが関ジャニ∞だった。
そんな彼らが、明日から違う屋号を掲げ生きていく。
6人が7人になることも、6人が5人になることも、名前が変わることも、何も予測はできなかった。そのすべてに終わりなんかないと思っていた。
今でも心の中で、関ジャニ∞が屋号を変更する必要があったのかと自問自答を繰り返している。悔しいし、寂しい。
彼らが直接手を下したわけではない問題で、四半世紀近く付き合ってきた名前を、人数が変わっても変えなかった屋号を、変えなければならないのか。もっとも、一番苦しいのはメンバー本人たちだと思うけれども。
親からもらった大事な名前を、何億何万人に呼ばれたその名前を変えなければならない苦しさは、想像に難くない。決して簡単に推しはかることの出来るものではないけれど。
このブログを読んでくださっているあなた、一度想像してみてください。
ある日突然自分の名前の一部が世間から悪だと認識される気持ちを。20年付き合ってきたその呼び名がある日世間から忌避されるものになってしまった状況を。
私ならやるせなくて、耐えられない。周りがどんな反応をしようが、名前に罪はないのに。
わたしの推し事に関わるスタンスはただ一つ、本人たちの決定に沿う事。その決定に沿えなくなったとき、相手を傷つけそうになったときには潔く離れること。
だから今回もついていくと決めた。寧ろ私の目の前には選択肢が一つしかなかった。
ポジティブな気持ちで改名発表を迎えようと気合を入れていた。
はずだった。
関ジャニ∞としての「最後」が続々と達成されるたびに、悔しさや寂しさは波のようにやってきた。公式Instagramで村上さんがただ一言「関ジャニ∞でした。」という言葉を掲載したとき、苦しくて、辛くて切なくて、でも村上さんらしいなって思って涙が出た。
もしかしたら本人はこんなに深く考えていないかもしれない。私が勝手に切なくとらえてしまったのかもしれない。それでも、「ファンが一人でも居る限り、ぼくは関ジャニ∞の村上信五です」と言い切った村上さんの言葉を思い出してちょっぴり心が甘く痛んだ気がした。
何度もその投稿を眺めて感じた。ああ、このシンプルさが村上さんだなって。名前が変わろうが、人数が変わろうが、私の大好きな村上さんなんだなって。思わず屋号変更を前に切なくなった瞬間だった。
その後、関ジャニ∞としてのラストのレンジャーブログが更新された。みんなの言葉を泣きながら読んでいたはずなのに村上さんは通常運転で、やっぱり彼らしくて笑い泣きした。ここで「するぞうず」なわけあるかい!(笑)
だったら屋号が関ジャニ∞でいられる今日までは散々懐かしんで、泣いて、切なくなって、笑って泣いてまた泣いてしまおうと思った。だからこうして文字に残すことを決めました。このブログは、私の決意表明で、関ジャニ∞へのラブレターで、宣戦布告。
すばるくんが旅立つとき、錦戸さんが旅立つとき、第三者目線でみると、その他にもeighterとしてのターニングポイントはたくさんあったと思う。
でも何故だか離れるという結論には至らなかった。だって関ジャニ∞は私の人生だから。人生の楽しみ方も、哀しみとの向き合い方も、向かい風に立ち向かう強さも、志も、愛も、全部教えてくれたのは関ジャニ∞だから。今も昔も、関ジャニ∞についていく未来しか自分には見えてない。それが私なりの愛だと、声を大にして叫びたい。叫びます。
うるせーーー!!!!!愛してるよーーーーー!!!!!
横山さん、まるちゃん、ヤス、おーくらさん、村上さん。
わたし、まだ教えてもらってないこと沢山あるんですよ。この先私が生きていくうえで必要なのは、あなたたちの背中と、笑顔と、eighterさんと横並びになる楽しみなんですよ。この大事な「eighter」という名前も、もしかしたら変わってしまうかもしれないけど、ライブの最後に手を繋いで呼ぶあなたたちの名前はもう別の名前になってしまうけれど、結局心が大事なんです。愛しかないんです。
だから、どうか屋号が変わろうが世間が何と言おうが、彼らがステージに立続けるその日まで輝いていてほしい。笑っていてほしい。
私には5人についていくことと、ここで声を上げ続けることしかできないけれど、5人が目指す夢の先を一緒に見させてほしいと、心から願っています。
村上さんに、関ジャニ∞に、すべての推したちに胸張って生きていくために、頑張るを精一杯頑張っているよ。変化をすぐに飲み込めなくて、懐古しちゃうこともあると思うけど、それでも私の精一杯の力で、やり方で、関ジャニ∞という歴史を、5人の未来を愛させてください。自分が出会えなかった8人時代も、全力で駆け抜けた7人、6人時代も、これからも続く5人の時代も未来永劫かけがえのない宝物です。
満月が見下ろすこの先の人生 5人とファンの二人乗りの自転車でどこまでも行きましょう。幸せになりましょう。今よりもっと。
すみません、私おんぼろなくせに欲張りなんです!
まとまらない叫びを最後まで読んでくれた皆さんに愛をありったけ込めて。
そしょ子より。